日本東洋医学雑誌第54巻第3号別冊 2003年掲載

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日本東洋医学雑誌第54巻第3号別冊 2003年掲載

臨床報告 老人性難聴に付随する耳鳴りへの中医学的鍼治療の試み

症例

四症例とも65~70歳の男性高齢者。主訴は難聴に伴う両側または片側の耳鳴り。

耳鳴りの罹患歴は最短2年から最長10年までとまちまちであるが、概ね各自の難聴の自覚と前後して1年以内に発現した。また全員共通して、当科を受診するまでに多くの専門医療機関において、塩酸リドカイン静注法以外のさまざまな治療法が試みられたが、耳症状の改善は一向に見られなかった。塩酸リドカイン静注法が適用されなかった理由は、四症例とも本態性高血圧や不整脈などの心疾患を持ち、特に症例2は平成2年および 12年の2度にわたって狭心症の心血管バイパス手術を受けたことがある故と考えられる。心疾患を除けば全症例とも既知の脳血管障害や糖尿病などの基礎疾患はなく、また他の聴覚障害をきたす主な背景因子とされる聴器毒性薬物の使用、頭部外傷、騒音曝露および遺伝性要素などの存在も見られなかった。

問診 1.寒がりで足腰がだるい 2.精力減退 3.失眠・多夢 4.動機・息切れ 5.便秘または下痢がち 6.夜間尿
脈診 脈、特に尺脈は沈・細・弱
舌診 症例1(左耳) 
図2 各症例における中医学的所見
症例1 舌質紅絳、特に舌根に裂紋、および舌尖辺部に多数の点刺(紅点)が見られる。苔質は微黄・白賦であり、その表面に常時多量の白沫(白色粘稠唾液)が付着している。
症例2 舌体が痩薄で紅絳かつ裂紋があり、紋理粗を呈している。黄白賦苔、舌尖辺部の点刺も見られる。
症例3 舌質紫絳、舌体には裂紋、舌縁には不整がつ青紫~紫黒色の斑を帯びている。また、血示す舌下脈絡の怒張も観察される。微黄・白膩苔。
症例4 舌体がやや胖年大で裂紋があり、舌質淡紅、舌尖辺部の点刺、舌体辺縁の歯痕および黄白膩苔が見られる。

 

一般検査所見(図1):初診時、各症例の両耳内所見および耳の単純X線では、鼓膜の軽度の混濁以外に明らかな異常は認められなかった。純音オージオグラム(RIONオージオメータ AA-100)では全症例とも、両側対称性の高音漸傾型の中等度感音難聴を示した。標準耳鳴り検査法(1993)による自覚的表現の問診検査(表1)では、耳鳴りに関する大きさ、持続および気になり方のスコアは、それぞれ症例1が左耳5-5-5、症例2が左耳4-4-4、症例3が右耳2-2-1、左耳 3-3-2、症例4が右耳5-4-3であった。

他覚的連続周波数ピッチ・マッチ検査およびラウドネス・バランス検査(ティナイタスオージオメータ、 DANAC100)では,症例1が左耳9190Hz、14dB、症例2が左耳4000Hz、6dB、症例3が右耳6063Hz、0dBと左耳 6063Hz、6dB、および症例4が右耳9190Hz、8dBの値を呈していた。また、耳鳴り患側耳における語音聴力検査による語音認知スコア、および補充現象検査(SISIテスト,shout increment sensitivity index test)の紺果は、それぞれ症例1が左耳100%、陽性、症例2が左耳90%、陽性、症例3が右耳45%、陽性、左耳55%、陽性、そして症例4が右耳 60%、陰性を示した。その他、心理学的検査におけるSRQ-D(Self-Rating Questionnaire for Depression)およびCMI(Cornel Medical Index)の結果は、全症例が陰性とI型を呈していた。以上の検査所見により各症例における聴覚障害の発現は、恐らく症例1と2はともに迷路性、症例3 は迷路性と後迷路性の混合型、そして症例4は主に後迷路性の問題に起因するものと推測された。

中医弁証所見(図2):四症例とも共通して、望診では顔色がくすんだ印象を受ける。問診による身体所見では、1.悪寒、腰痛、2.精力減退、3.不眠、多夢、4.動悸、息切れ、5. 便通異常、6.夜間尿(一晩に一回以上の起床排尿)などが最も訴えられた。これらの徴候はすべて腎気の不足に伴う各臓腑の生理機能の低下や、気・血・津液の循環代謝障害を表すものとして理解される。

舌診でも腎の機能失調を強く疑わせるいくつかの病的所見が観察された。つまり、各症例それぞれに現れた舌体の裂紋、痩薄、舌面の点刺および舌質の紅絳または絳紫などはいずれも気血両虚および陰虚火旺の際によく見られる特徴であり、特に症例3には明らかな気滞血を示唆した舌下脈絡の怒張も認められていた。また、黄白膩苔は主として体内の湿熱痰濁を、多量の白沫(症例1)は腎虚水泛による多唾証を表すものと推断した。症例4は舌体の痩薄,紅絳を示さなかったものの、舌質の裂紋および舌縁に歯痕があることから、腎陽虚以外に脾虚湿盛の病証も伺われる。脈診では各症例とも沈細弱を示した。

以上の中医学的証候分析により四症例の主な病態の本質は、ともに腎精虚損証に属するものと考えられた。つまり、加齢に伴う腎精気の虚損により慢性的に耳竅または脳竅の失養を引き起こし、さらに腎虚に伴って派生したさまざまな二次的病態反応、すなわち虚火の上炎、気血の停滞および温熱や痰濁の中阻などによって耳竅や脳竅が一層蒙蔽され、聴覚の機能変調が加重していったものと推定された。したがって、治則は「理気通竅・補腎益精・養耳健脳」とした。「理気通竅」には外関穴以外は主として耳周囲の近位穴である翳風穴、聴会穴、聴宮穴を取った。また、「補腎益精・養耳健脳」には主に遠位穴である太籍穴、復溜穴、腎愈穴、命門穴、脾命穴および足三里穴を選用した。これは「理気通竅」は標治、「補腎益精」は本治のためであり、いわば「標本同治」を主幹とした組み合わせである。

表1 耳鳴りの問診表

鍼治療法:鍼は8号(0.3×50mm)のセイリン鍼灸針を用い、諸穴に1.5-3cm刺入し、得気後「理気通竅」用の諸穴へはすべて5~10回の提挿捻転瀉法を、「補腎益精」に使用される諸穴へは3~5回の提挿捻転補法を施した。置針時間は約40分間とした。鍼治療は原則として週に1回、当科の鍼外来において施行した。図3は治療開始から10週間の耳鳴りの経時的変化を追跡したものを示す。鍼治療の期間中、一般の耳鳴り治療薬(各種のビタミン剤、末梢循環改善剤、精神安定剤など)は一切投与されなかった。またその間、全症例に対して計4回の自覚的耳鳴りの問診調査、ならびに毎回の施術前後に他覚的ピッチ・マッチ検査およびラウドネス・バランス検査を施行した。

臨床経過(図3):全般を通して、ほぼ毎回の鍼治療直後に多少の差はあるものの、自覚的耳鳴りの改善とともに耳鳴りラウドネスの低下や耳鳴りピッチの変動が見られた。耳鳴りピッチは多くの場合高周波数から低周波数にスイッチする傾向にある。その後の自覚的耳鳴り軽減の持続効果は半日から数日間とまちまちであり、時には耳鳴りがしばらく消失することもあるが、ほとんどの場合再び増悪する傾向が認められる。耳鳴りピッチも一定しない。しかし、治療回数を重ねていくうちに、耳鳴りラウドネスは鋸歯状に上下しながらも、全体的には漸減していく様相を呈している。

特に迷路一性聴覚障害を呈した症例1は、3回目の施術後を境に左耳鳴りラウドネスが治療前の14dBから2dB まで大幅に軽減しており、その後も0~6dBの間で小刻みな変動を示しながらも、自覚的耳鳴りの大きさは常に初診時に比べ非常に小さく感じられた。同時に耳鳴りの持続時間や気になり方も、平均して概ねスコア2以下に留まり、当科を受診するまでは耳鳴りのため一時的に休職していた仕事も復職するに至った。

また、同じ迷路性障害である症例2と、後迷路性障害でありながら補充現象陽性を示した症例3も、3回の治療を終えた時点で明らかな自覚的耳鳴り症状の改善とともに、それぞれ症例2の左耳鳴りラウドネスが6dBから0dB、症例3の左耳鳴りが6dBから0dB、そして右耳鳴りが完全消失(その後再発なし)にまで回復した。但し、それ以降両症例とも一時来院せず治療が中断した故か、数週間後症例2の左耳鳴りが0dBから10dB、症例3の左耳鳴りも0dBから8dBにまで再燃し、著しい耳鳴りのリバウンドが認められた。しかしながら鍼治療の再開により、その後再び安定した耳鳴り抑制効果が得られた。

一方、補充現象陰性を示した後迷路性障害である症例4の臨床経過は一進一退であった。前記の三症例と同様、3回目の治療後において右耳鳴りラウドネスは初診時の8dBから0dBにまで大きく減少し、劇的に自覚的耳鳴りがほとんど消失した時もあったが、大半はまったく効果がないか、あったとしても改善度が少なく、しかも半日以内にすぐ増悪することが多いという特徴が示された。実際、4回目以降の耳鳴りラウドネスの検査結果も、数字的には軽減が鈍化していることを示している。但し、鍼治療の効果が著しく突出したものではないとは言え、以前に受けた一般の治療法に比べれば、鍼治療による病状好転の兆しや治療への期待感が、患者に大きな安堵と満足感をもたらした。

ちなみに、鍼治療過程の中で相応効果として、その他の諸身体所見のうち特に夜間尿と腰痛にも明らかな改善傾向が見られた。

図3 鍼治療による耳鳴りの自他覚的変化の推移

註1:ダッシュ(')月数字は、その回の鍼治療後の検査結果を示す。
註2:L:耳鳴りの大きさ、C:耳鳴りの持続、U:耳鳴りの気になり方。

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